わたしの場合のお話です。
今までの曲作りの工程としては
大抵自分のはなうたとふんわり浮かんでる伴奏、
それを目に見え耳に聞こえる形にするという
ひとつの具現化作業で「出来る」という感覚。
それに対して、
このひと月ほど唸っているのは
「誰かの作った伴奏世界にメロディをつける」
という手順での「作る」お仕事。
この2つ。
自分の中にある世界を共有できる形にする
という意味では同じなんだけれど、全然違うのです。
なぜなら私にとってメロディとは主人公で
伴奏世界も一緒にはじまっているから。
それに対して伴奏世界に主人公を作り出すのは
木の彫刻家の言葉に聞いた事がある
“じぶんが作りたい形に削っていくのではなく
一本の木の中にすでにあるものを表に出す”
ということに近い感じがします。
生まれたがっているものは既にそこの中に眠っていて
それをちゃんと救い出すことが自分の仕事だ、と。
とても責任重大です。笑。
”わたしの音は、はなうた〜るるる〜♪”
というわけには行かないのです。笑。
煮詰まるどころか、
出足からうんともすんとも音の進まない自分。
作戦を変更しないといけないと、
普段はあまりアテにしない自分の言葉を頼りました。
そしたら分かったの。
いろんな事が分かりました。
ひとことでは言い表し難いけれど、
本当にいろんな事が分かりました。
“読むということは創造すること”
なるほどね、と、
本を読む以外にこれほど実感した瞬間もないです。
前置きがえらく長くなりましたが、笑、
そんなこんなでよく散歩をしている今日この頃。
木曽川の土手に出掛けると寒緋桜が満開で、
水仙が気高く香り、
ライチのような実が落ちていて
見上げるとアメリカフウ。。。
どんな風やね〜とこっそり楽しみ、
果物屋さんのフルーツセットで癒されて、
この日のプチ散歩はおしまい。
考えながら考えない、
というのがわたしのプチ散歩の時間です。
さて、きょうのひとやすみはなにしよう♪
nacci